こんにちは、画家の落合真由美です。
今回は誰もが知る芸術家
レオナルド・ダ・ヴィンチ
についてのお話です。
レオナルド・ダ・ヴィンチといえば
ミケランジェロ、ラファエロと共に
ルネサンス美術の代表格として活躍した
芸術家です。
ルネサンス美術とは
14世紀から16世紀の
古代ギリシア・ローマ文化を復興、
再生しようとする芸術運動のことです。
ダ・ヴィンチは革新的な技術で
美術史に残る傑作を残しました。
美術以外の様々な分野でも
偉大な功績を残した人ですが、
今回はダ・ヴィンチの画家としての
生涯や作品の魅力について
分かりやすく解説していきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチ年表
1452年
イタリア・フィレンツェ近郊の
田園地帯・ヴィンチ村で生誕。
父親は公証人ピエロ・ダ・ヴィンチ、
母親は農家の娘カテリーナ。
両親は正式な夫婦ではなかったため
庶子として正規の教育を受けられずに
育つ。大自然に囲まれ、
幼少期は自然風景や人体に興味を持ち
スケッチしていた。
1466年
ダ・ヴィンチの才能を見抜いた父によって
アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に
弟子入りすることになる。
絵画、彫刻、建築、工芸など
芸術家としての基礎を学ぶ。
1472年-1475年
画家としてのデビュー作「受胎告知」を制作。
1478年頃
画家として独立する。
1482年
30歳でミラノに渡り、
ミラノを統治しているスフォルツァ家の
宮廷画家となる。
画家以外にも軍事技術者、彫刻家として
およそ20年ミラノで活躍する。
1487年
「ウィトルウィクス人体図」を描く。
1495年-1498年
「最後の晩餐」を制作。
1500年頃
ミラノが戦場となり、フィレンツェに帰る。
1503年-1518年
「モナ・リザ」を制作。
1506年
ルイ12世に招かれて
再びミラノに拠点を移す。
1510年頃
精力的に解剖を行い、人体を研究する。
1513年
ジュリアーノ・ディ・メディチに
仕えるため、ローマに拠点を移す。
1516年
フランス王フランソワ一世の招きで
フランスへ移住。
「モナ・リザ」や「聖母子と聖アンナ」
「洗礼者聖ヨハネ」などを持参し
最後まで加筆し続ける。
1519年
67歳、フランスで逝去。
レオナルド・ダ・ヴィンチ代表作
ダ・ヴィンチは
音楽、数学、解剖学、建築、土木工学、
幾何学、生理学、天文学、動植物学、
地質学、地理学、物理学、光学、力学
など様々な分野に関心を示し精通して
いました。
19世紀にはダ・ヴィンチの手稿が研究され
あらゆる分野での知識や思考の深さに
天才と評される様になります。
その研究知識を絵画に活かしイタリア・
ルネサンスに大きな影響を与えました。
人物の表情を繊細に生き生きと捉え、
革新的な技法で人物画の傑作を
生み出しました。
「受胎告知」
1472年-1473年
彫刻家ヴェロッキオに師事していた頃の作品
で画家レオナルド・ダ・ヴィンチとしての
デビュー作にあたります。
新約聖書の一場面である「受胎告知」を
描いたもので天使ガブリエルが聖母マリアに
キリストの受胎を告げる瞬間を捉えています。
遠近法を取り入れながら光と影を巧みに
表現していて登場人物の表情や風景も細密に
描かれています。
このリアルで繊細な表現によって
神秘的で神聖な臨場感が伝わってきます。
「モナ・リザ」
1503年-1518年
「モナ・リザ」は和訳すると「リザ夫人」
になります。
モデルはフィレンツェの富豪の妻
リザ・デル・ジョコンドであると
考えられています。
ダ・ヴィンチはこの作品を生涯手元に残して
加筆し続けたそうです。
ダ・ヴィンチの死後は弟子が相続しましたが
フランス国王・フランソワ一世に買い取られ
その後ルーブル美術館に所蔵されるように
なります。
この作品は同時代に活躍した画家ラファエロ
にも影響を与え、
ラファエロも同時期に「モナ・リザ」と似た
構図の作品を描いています。
「モナ・リザ」は
1911年に元ルーブル職員による盗難事件に
あっています。
また絵のモデルが誰であるかの論争が
あったり、ダヴィンチ自身で死ぬまで
保有していたことから話題が広がると共に
名声が高まり、美術史上最も有名な作品に
なりました。
この作品には空気遠近法やスフマートの技法
が使われています。
モナ・リザの柔らかい肌質や表情筋が
見事に再現されていて顔の表情の繊細な表現
からモナ・リザの感情まで
伝わってきそうです。
モナ・リザのふっくらとした手の描写も
見事です。
手が今にも動き出しそうに関節や筋肉の流れ
を豊かに捉えています。
纏っている衣服は身体に沿って正確に
描かれていて布地の質感や皴の陰影描写も
繊細で見ごたえがあります。
晩年まで加筆し続けたこともあって
作品の完成度は高く、
ダ・ヴィンチの得意とする陰影描写、
空気遠近法、解剖から学んだ正確な人体の
捉え方、衣服の自然で繊細な描写が見て取れ、
ダ・ヴィンチの画家としての集大成
ともいえる仕上がりになっていると思います。
「最後の晩餐」
1495年-1498年
新約聖書でのイエス・キリストの処刑前夜に
弟子たちと食卓を囲む中、
弟子たち内の一人が自分を裏切ることを予告
した場面を描いた作品です。
当時のミラノの支配者
ルドヴィコ・スフォルツァからの
依頼で制作され、
サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ
修道院の食堂の壁に描かれました。
登場人物の表情や仕草が繊細に捉えられて
いてキリストを中央に配した三角構図が
緊張感を与えています。
遠近法によって中央にいるキリストに自然と
目が行くように視線誘導しているのが
見事です。
通常、壁に絵を描く際は耐久性がある
フレスコ画が用いられるのが基本ですが、
ダ・ヴィンチは油彩とテンペラの混合技法で
描いています。
遅筆であるダ・ヴィンチは短時間で作業する
必要があるフレスコ画の技法に
向いていなかったためです。
油彩テンペラによって豊かな色彩や立体感を
表現することができましたが、
耐久性に問題が生じたため数十年で色褪せや
剥離が進行し、後に大幅に修復されることに
なります。
しかし、この作品で描かれた人間の心理描写
は宗教画の基準となり、美術史に大きな影響
を与えました。
「ウィトルウィウス的人体図」
1487年頃
古代ローマ建築家ウィトルウィクスの建築論
を元に描かれました。
ダ・ヴィンチは芸術と科学の融合を目指し
人体の普遍的なプロポーションを
図形化しました。
またダ・ヴィンチは30体以上の遺体を
解剖し、解剖学や自然科学の真理を探究する
ことでより説得力のある芸術表現を
目指したのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの描写力
ダ・ヴィンチの作品には
絵の具の層を重ねて質感をリアルに表現した
緻密な描写が目立ちます。
ダ・ヴィンチは寡作であり遅筆だった
ことでも知られています。
途中で描くのをやめた未完成の作品もあり
完成した作品はおよそ20点くらいだと
言われています。
またダ・ヴィンチは人体を正確に描くために
解剖によって知識を得ることが大切だと
考えていました。
解剖によって詳細に人体を知り尽くして
独自のアプローチで人物を描写しました。
追求心が高く完璧主義な向き合い方で
美術史上に残る傑作を生み出していった
のだと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチの遠近法

ダ・ヴィンチは光を正確に捉えた
リアルな表現を得意としていました。
ダ・ヴィンチはモノには実際には輪郭はなく
距離感によって色調が変わることに着目
します。
自然の情景や人物画の背景を
近い・遠いの距離感によって描き方に
強弱をつけました。
この距離感の違いを色の濃淡によって
描き分けることがリアルな描写に繋がると
確信します。
こうしてダ・ヴィンチによって
近景と遠景を色の濃淡によって描き分ける
「空気遠近法」という技法が確立されます。
空気遠近法によって
近くのものは強く鮮明に見え、
遠くのもの
は弱くぼんやり見えることを分かりやすく
鑑賞者に伝えることができます。
この空気遠近法の確立によって
立体物や空間がよりリアルに自然に
描かれる様になりました。
ダ・ヴィンチはまた
「スフマート」というモノの輪郭を煙の様に
暈して空間の奥行きを描く技法を
生み出しました。
これによって線だけでは表現しきれない
繊細な表現ができるようになったのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサン画
ダ・ヴィンチの作品にはデッサン画が
多く残されています。
人物が着用している服の皺をキレイに描く
ために布地の皺をデッサンすることで
練習していたと思われます。
衣服の自然で柔らかい陰影を見事に
写実的に捉えています。
このデッサン画の習作によってダ・ヴィンチ
の描く人物画の衣服描写がどれも素晴らしい
ことが分かるでしょう。
衣服の皴の入り方でモデルである人物の
身体の形態まで伝わってきそうな、
布地の手触りまで感じられそうな見ごたえの
ある仕上がりになっています。

まとめ
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯について
解説してきました。
美術以外のあらゆる分野での知識や探究力
を絵画に反映させた人ですが、
そういった幅広い視野が新しい技法の創出や
リアルな表現に繋がったのでしょう。
また、ダ・ヴィンチが描く人物画には
神秘性や神聖さ、緊張感があります。
様々な感情を含んでいるかの様な微妙な表情
には想像を掻き立てられ、
見る者は自然と絵に引き込まれてしまいます。
深く鋭い探究心が人物の表情の複雑さにも
現れていてより作品を魅力的にしていますね。