ゴッホってどんな人?印象派や浮世絵から影響を受けたゴッホの人生や代表作を簡単解説します

こんにちは、画家の落合真由美です。

画家ゴッホと言えば
日本人が大好きな画家の一人
ではないでしょうか?
現代ではゴッホ展が日本で開かれれば
連日大盛況だったり
ゴッホ作品には破格の値段が
付けられたりしています。

わたしたちを惹きつけるゴッホの魅力とは
何なのでしょうか?

激動の人生をたどり
燃えるような情熱で絵を描き
常に自分自身を見つめ直していたゴッホ。

画家の描き方や高度な技法は
時にとても参考になりますが
それだけではなく
画家の生き様や絵への向き合い方
からも学べることが多くあります。

ゴッホはどんな風に絵と向き合って
自分自身を表現していったのか
その優れた表現力に迫り
ゴッホの人生と作品の特徴について
分かりやすく解説していきます。

 

ゴッホの人生


フィンセント・ファン・ゴッホ

 

1853年
オランダ南部生まれ。

 

1869-1879年
画商、教師、書店員、伝道師など
職業を転々とし挫折する。

 

1880年
27歳
弟テオの勧めで画家になる決心をする。

 

1885年
静物や農民の暮らしを
ダークな色調で写実的に描く。

 

1886年
弟テオの住むパリへ赴き
新印象派ベルナール、ゴーギャン、スーラ
の色彩豊かな画風に
影響を受ける。

 

1888年
パリでの暮らしが上手くいかず
南仏アルルに向かいゴーギャンを師として
心酔し一緒に暮らす。
作品が明るく大胆な色彩やタッチに変化。
代表作が生まれる。
「アルルのはね橋」
「ひまわり」
「夜のカフェテラス」など。
折り合いが合わなくなったゴーギャンが
アルルを出て行こうとすると
パニックになり自分の耳を切り落とす。

 

1889年
アルルの北東にあるサン=レミの療養所に
入院する。

 

1890年
療養所を出て数ヶ月後
ピストル自殺を図る。
享年37歳。

 

ゴッホの人生を見ると
画家として生きたのは
たった10年間だったことが分かります。

新印象派画家たちに衝撃を受けて絵が変わり
ゴーギャンと出会い自分の絵の方向性が
確立され感情に揺さぶられながらも
自分自身と向き合い続け
最後まで絵を描いていったことが
分かります。

ゴッホはこのわずかな10年の画家生活
の中で860点もの油絵を描きました。
いかに情熱的に絵と向き合っていたかが
感じ取れます。

 

新印象派画家とゴッホ

新印象派画家たちとの出会いでゴッホは
明るい色彩感覚に目覚めて
一気に絵が明るくなります。

パレットやキャンバス上で色を混ぜない
画家スーラに影響されて
点描の技法を使いました。
青や黄色、オレンジなど細かい点の集合で
描いていることが分かります。

 

日本の浮世絵とゴッホ

1867年パリで開催の万国博覧会を
きっかけにフランスでは
ジャポニズム(日本ブーム)が起きます。

ゴッホが印象派の次に興味を持ったのが
日本の浮世絵です。

ゴッホは浮世絵画家の歌川広重の作品を
模写したことも良く知られています。
浮世絵の色彩感覚や平面構成、
輪郭線をはっきり描く手法
惹かれていました。

ゴッホの作品が日本画に通じていることも
現代の私たちがゴッホ作品に惹かれる
理由の一つではないかと思います。

 

ゴーギャンと耳切り事件

耳を切って病んだゴッホが入院したサン=レミの療養所の中庭

 

1887年ゴッホは
画家ゴーギャン(1848-1903)と出会い
共同生活をしました。

見たままに描くのではなく
内面の感情を描くべきだという
ゴーギャンの思想
ゴッホは大きな影響を受けます。

遠近法を無視した平面的なとらえ方で
ハッキリした輪郭線で描く手法
ゴーギャンから影響を受けたものです。
現代の私たちがイメージする
色彩豊かなゴッホ作品は
この時に誕生しました。

しかしゴッホとゴーギャンは
お互い個性が強すぎた故に反発しあい
ゴーギャンは去っていきます。
ゴーギャンを師として心酔していたゴッホ
にとってゴーギャンが去っていったことは
大変衝撃的な出来事でした。

ゴッホは心神喪失になり
自分の左耳を切り落としてしまいます。
その後はサン=レミの療養所で過ごします。

 

ゴッホ代表作

「アルルの寝室」1888年

ゴーギャンとの共同生活が始まる前の
喜びが込められた作品。
家具や寝具を安息と眠りの象徴として
描いています。
黄色い色面で描かれたベッドに
鮮やかな赤のポイント使い、
さわやかで落ち着いた水色の壁面をみると
ゴッホの前向きな感情が見て取れます。

ゴッホにとって黄色は
幸福の象徴色だったようです。
黄色を使って描かれた作品「ひまわり」
有名ですよね。

 

 

「糸杉」1889年

ゴッホにとって
うねるように成長する糸杉は
自分自身の苦悩や不屈の精神を
投影するもの
お気に入りの題材だったようです。

 

 

「自画像」1889年

療養所に入院していたころに描かれた
自画像です。
自ら切断した左耳を隠すように
描かれています。
自殺する一年前のものですね。
全体がくすんだ寒色系で描かれていて
表情も沈んでいるように見えます。

ゴッホは画家人生の10年間に
37枚もの自画像を描きました。
ゴッホにとって自画像は
自分を見つめ直すものでした。

 

ゴッホ作品の値段

 

ゴッホは多作の画家ですが
生前に売れた絵はたったの一枚でした。

現在ゴッホの作品と言えば
破格の値段が付けられていますが
どのようにしてここまで
世界的に有名になったのでしょうか?

生前にゴッホを支え続けたのは
画商でもある弟テオでした。
兄の才能を見込んで金銭的援助をして
支え続けました。
テオもゴッホが自殺した半年後に
亡くなりますが妻のヨー
亡き夫の遺志を引き継ぎ
回顧展を開催しました。

その後、ゴッホの色彩論や
絵画への激しい情熱
段々と世界に知られるようになります。

死後間もない時は1点数万円、
1900年代には約300万円、
1987年には「ひまわり」に53億円
1990年には「医師ガシェの肖像」に
124億円の値が付けられます。

弟とその妻がゴッホの才能を信じ続けた
結果かもしれません。

 

ゴッホ作品の魅力

ゴッホ作品の魅力といえば
やはり鮮やかな色彩感覚と
バランスの良い構成力ですね。
特にアルルに移って
ゴーギャンと共同生活をしていた頃の作品
はとてもあか抜けていて
現代の私たちが見ても
新鮮でモダンな雰囲気があります。

主題を分かりやすく描いていること、
画家の感情も込めていて
鑑賞者が共感しやすいこと、
日本の絵画論も取り入れていて
私たち日本人になじみのある描法を
していること
わたしたちを惹きつける理由
なのではないかと思います。

 

まとめ

ゴッホが描いたアルルのはね橋

 

ゴッホの激動の人生やその表現力、
作品の特徴について解説してきました。

絵に対してものすごい情熱を
持っていたんだなと感じます。

ゴッホのように
自分の置かれている環境や
その時の心情によって
絵の作風は変わったりしますよね。

新しい体験をしたり、
いろいろな場所に赴いたり、
いろいろな人と関わって
新しい価値観を見出したり、
画家として表現をするにあたって
どんな環境に身を置くかも
作品に関わる大事なことなのではないか
と思います。

風景画の名画 | モネ・ルノワール・ゴッホ・ゴーギャン・ルソーから学ぶ描き方や考え方

透視図法や空気遠近法 | ダ・ヴィンチ、フェルメール、セザンヌの作品から遠近法を解説